コップに入った水の話というと思い浮かぶのは、まだ半分水が入っていると考えるか、もう半分しか水がないと捉えるか、というのが有名ですね。
先日、ちょっと違った解釈を目にしました。
コップに入った水をちょっと持ってくださいと言われたら、数分間持っていることは誰でもできることでしょう。これが30分だったら・・できなくはないでしょう。でも、1時間、2時間・・手がしびれますね。24時間ではどうでしょうか?手が麻痺してしまうかもしれません。小さなコップに入った水は、その重さは大したことがなく、重さも変わったわけではありません。でも長時間持っているととても重く感じるようになってくるのです。
コップの水はストレスや悩み事に例えられます。
少し考えただけでは何も起きませんが、ずっと考え続けているとそれに囚われて他のことは何もできなくなってしまいます。
問題はストレスや悩み事の大きさではなく、それを抱える時間だという話なのです。
人間関係でも「これくらいなら・・」と少しの我慢を続けてしまいがち。
それが時間が経つと堪え難いものなってある時破綻してしまうということもありますね。
大切なことは、「コップの水を置くこと。」
人に話す、あえて違うことを考える、絵を描く、体を動かす・・。
悩み事から離れる時間、場をうまく作っていきたいですね。
「ぎゃ」と家人の声。
・・・・我が家の子豚ちゃんのしっぽがポロリ。
こういう時はどうしますか?
瞬間接着剤でどうにかならないかと思い浮かべるのですが、瞬間に固定位置を決めなければならないのが厳しい。微調整ができればなあ、指についても大変だし・・とずっと思っていました。
このBONDICはすごくいいです。
接合した後、付属の紫外線(UV)を4秒以上当てると固まる仕組みになっています。UVライトを当てなければ固まらないので、調節が効くだけでなく、光を当てて硬化させた加工(粉砕、研磨、塗装など)ができ、その上に上塗りもできるんです。
それに缶の入れ物が何とも注射器のよう(?)でかっこいい。
我が家の子豚ちゃんもおかげさまで元どおり。
めでたし、め
でたし。
「〇〇さんがいいっていうから、いいに違いない」
「〇〇さんがやめとけっていったから、やめる」
これが一番危険な考え方かもしれません。
〇〇には日頃親しくしている方、すごいなと思っている方が入ります。
少し過激な意見でしょうか?
私の性格的なものもありますが、出産後10年以上夫の扶養家族でしたので、予定も子供次第、お金は夫の収入からということもあって、即決することが苦手でした。今も上手とは言えません。
資格を取って働き始める時に、一番難しかったのが「自分の意思で決める」ということだったのです。
私は、自分の気持ちや考えより、社会に出て働いている人や母親歴の長い方のほうがきっと良い意見を言っているに違いないと思っていました。
自分の中で違和感があっても人の意見を重視して行動を決めていました。
振り返ってみるとそれが一番危険な考え方でした。
何かを勧めたり、忠告してくれるのは好意からであっても、です。
参考にするのは大いに結構だと思います。
判断の拠り所にしてはいけないということです。
自分に違和感があるときは、立ち止まる時です。
考える時です。
私は高い勉強代を払ってそのことに気づきました。
皆さんは、そのような勉強代は払う必要はないですから、違和感があった時はご自分の気持ちに従ってください。
「Noと言ってもいいんだよ。」とあの時の自分に言いたいです。
皆さんはどのような健康法をお持ちでしょうか?
私のようなお年頃になると、この仲間に会うこと、この場所にいることも「また」ということはないと知っているから、少々無理をしても出かけることを選ぶのだけれど(そして結果としてそれが良かったことが多いけれど)、体力は黄色信号が点滅。内心翌日に響かないかなぁと心配する自分もいます。
今更、体力筋力作りではないですが、何かに頑張ると呼吸が浅くなり、顔に力が入り、身体が硬くなりがちなので、柔らかい身体を作ることが私の当面の目標です。
やはり大いに笑い、楽しいことに夢中になることでしょうか?
全ては「これから」です。
言葉と心2017年8月7日
不安定な天気が続いています。
そんな時には、身近なところでも色々なトラブルが起きています。
ほとんどは人間関係で、言葉が引き金になっているようです。
苛立っているからその言葉を投げるのか、その言葉を使うから苛立ってしまうのか、多分言葉が先なのではないかと思うことがしばしば。
また「怒り」もそのことが直接的な原因ではなく、何かがあって心が波立っている時に不愉快なことが起き、それが引き金で前の不愉快さと化学反応を起こし大きな怒りとなってしまうことがあるように思います。
人の真の姿は疲れている時に現れるといいます。
私の場合、ブスッと無言になってしまい、主語もなくなり、
伝わらないと勝手に苛立つ、と家人に言われてます。
もう少し体力をつけて、季節の流れにそって、疲れがたまらないようにして、おおらかな言葉を使いたいな・・と思う立秋の日でした。そしたら、私も自分の言葉を聞いてご機嫌になるから。